2018年6月5日発売
『読書という荒野』
幻冬舎の代表・見城さんの著作
もはや伝説的編集者と言っても過言ではない見城さんの読書に対する考えや姿勢を、これまでの人生や編集者として関わった仕事を通して本書では紹介されています。
本書で書かれる読書論は見城さんの人生のように激しい。
いち早く入手したので
本書の感想と、見城さんの読書論に対する所感を書こうと思います。
さっと読むための目次
読書に何を求めるか
本書で見城さんが読書について語っている部分を引用します。
正確な言葉がなければ、深い思考はできない。
深い思考がなければ、人生は動かない。自己検証する。自己否定する。それを繰り返し、繰り返し、自己嫌悪との葛藤のすえに自分の言葉を獲得する。その言葉で、思考して、思考して、思考しきる。その格闘の末に、最後の最後、自己肯定して救いのない世界から立ち上がる。認識者から実践者になる。暗闇の中でジャンプする。人生を切り開く。
読書はそのためのもっとも有効な武器だ。
「読書」が人にもたらすものは、自分以外の圧倒的他者の物語です。
一回だけの人生では到底経験しえないような苦悩や喜びを「読書」で感じることができます。
見城さんが本書にて述べた言葉
「自己検証、自己嫌悪、自己否定の3つがなければ、人間は進歩しない」
自己検証・嫌悪・否定の3つは自分以外の他者との対比がなくては実証できないものです。
他者の苦悩や喜びを追体験できるものが「読書」であり、「読書」こそが現実世界で戦うための自己を確立できるのだと本書では述べられます。
私も大学で文学部に在籍していましたが、
果たして文学部にいた人達のうち何人がこのような思考のもと読書をしていたでしょうか。
あくまで単位のため、研究のためといった方が多かったように思えます。
文学部でもそのような人間が多いのは何故かというと
『自己検証・自己嫌悪・自己否定』を意識した読書は
つらく厳しいものであるからです。
圧倒的体験をした著者や登場人物
それらと自分を対比して考えることは
自らの「情けなさ」や「矮小さ」を認めることでもあります。
見城さんは、それらを乗り越えなければ人間としての成長はないと断言します。
『実践者』として生きる
読書によって他者への想像力や生きるための教養を磨き、
まずは『認識者』になる。つまり世の中の事象と原理を理解する。
その上で、覚悟を決めて『実践者』になる。
いったん実践者になれば、暗闇の中でジャンプし、圧倒的努力をもって
目の前の現実を生き切るのみだ。
人生には様々な困難や矛盾・葛藤があると本は教えてくれる。
『実践者』とは、それらの矛盾と葛藤を抱えながらも自己実現のために生きる人のことです。
自己検証・自己嫌悪・自己否定の厳しい読書体験を経て
表現したいもの・実現したいもののために生きることが大事だと述べられます。
私が新卒で会社を辞めて、フリーランスを経てから法人化するまで
不安で押しつぶされそうになる夜は何度もありました。
退職したての時に感じた社会からの孤独感はおそらく一生忘れることはないでしょう。
そんな孤独感を癒したのはやはり「読書」でした。(退職したての頃は吉本隆明や坂口安吾を読んでいたと記憶します。)
そして『読書という荒野』を読んでから、自分の表現したいもの・実現したいもののために生きて『実践者』になれというメッセージに奮い立ち、見城さんの人生・思想・仕事の追体験から勇気を与えられました。
『読書という荒野』で見城さんが語る読書論は厳しく激しいものです。
しかし、その厳しさと激しさこそ、読書から最大の成果を得るための方法ではないかと感じます。