文学

【谷崎】マゾヒストの生態がわかる文学的考察【潤一郎】

谷崎潤一郎

こんにちは、中本(@rower240)です。

今日は文学好きらしく、谷崎文学からマゾヒストの考察をしますー。

マゾヒストの意外な生態を考えます。真面目に。

今回ご紹介する谷崎潤一郎は、異端の天才とも言うべき人物です。

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年 – 1965年昭和40年)7月30日)は、日本小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。

Wikipediaより

数々の文体で耽美的な作品を生み出した天才です。

私は大学時代に谷崎についての論文も書きました。

谷崎潤一郎

知らない人のためにザックリ説明すると

天才的に文章がうまいドM

いきなりぶっ込みますが

谷崎は生涯を通じてマゾヒストの変態性欲について書いています。

ご本人もそちら側だったみたいですね。

 

他人に支配され、快感や愉悦を感じるマゾヒストは

大昔から存在していました。

19世紀に至り、精神病理学の発達によって

マゾヒズムは一種の性的倒錯症であると分類されます。

肉体的暴力は重要ではない

Mの一般的なイメージは

Sの人に殴られたり、足蹴にされたりなどの

肉体的暴力が思い浮かぶかと思います。

しかし、谷崎はマゾヒストの本質はそこではないと語ります。

次に谷崎の作品である「日本に於けるクリップン事件」でマゾヒズムに関して

述べている部分を引用します。

マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びは何処までも肉体的、官能的のものであって、毫末も精神的の要素を含まない。人或は云わん、ではマゾヒストは単に心で軽蔑され、翻弄されただけでは快感を覚えないの乎。手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないの乎と。それは勿論そうとは限らない。しかしながら、心で軽蔑されると云っても、実のところはそう云う関係を仮りに拵え、恰もそれを事実である如く空想して喜ぶのであって、云い換えれば一種の芝居、狂言に過ぎない。(中略)

彼等は妻や情婦を、女神の如く崇拝し、暴君の如く仰ぎみているようであって、その真相は彼等の特殊な性欲に愉悦を与うる一つの人形、一つの器具としているのである。

『日本に於けるクリップン事件』より一部抜粋

つまり

マゾヒストは精神的な支配をされているという空想にこそ

興奮しているということです。

そのためサディストのS役の人はMとっての人形(道具)でしかなく

サディストは一見支配者のようだが、実際にはマゾヒストに

支配・利用される奉仕者でもあるのです。

実際のSとMとは真逆の関係性がここに浮かび上がります。

 

確かに引っ叩かれたり蹴られたりして感じるのは

本来なら「痛み」だけですもんね。

マゾの人達だけが特殊な痛覚神経をしているのでなければ…

肉体的な感覚が「痛み」だけならば

マゾヒストは支配されているという被虐の空想によって

精神的に興奮しているという考察には頷ずかずにはいられません。

このMとSの真の関係性から

単なるマゾヒストとサディストの略称ではなく

Mは(マスター)、Sは(サービス)

でもあると言えますね。

谷崎を読んで面白いと思った考察なので

一度読んでみて頂ければと思います。

「痴人の愛」みおける一場面「痴人の愛」における一場面

 

谷崎潤一郎という作家..

谷崎潤一郎の文学の流れは大きく三つに分けることができます。

谷崎の初期は「刺青」に始まり、耽美主義な短編を多く発表し、

また中期(関東大震災以後)は関西に移り住み「痴人の愛」、「卍」など、関西の風俗描写やモダンな雰囲気の長編を発表した。

この頃、日本の古典的な美に関しても興味を持ち、「吉野葛」や「春琴抄」も執筆しています。

後期(戦時中・戦後)には持病とも戦いつつ「細雪」や「源氏物語」の現代語訳なども執筆。晩年に至って「鍵」「瘋癲老人日記」なども発表しており

生涯にわたってその創作意欲は衰えることを知らなかった。

谷崎文学の重要な要素であるマゾヒズムはこの三つの時期に共通して組み込まれていると言えます。

ABOUT ME
ユウヤ
株式会社AIKIYA代表取締役 合気道2段。WEB制作、護身術指導、あとカメハメ波が撃てます。嘘です。 プロフィールはこちら