文化

「みんな居場所がない ー 現代の孤独とコミュニティ ー 」イベントレポ

インターネットによって、孤独が深まるから、コミュニティが必要なのではない。既存のコミュニティが、現代に対応できなくなってきているから、コミュニティをアップデートしなくてはいけない。では、現代の孤独とコミュニティとは何かー。コルク代表の佐渡島庸平氏と、予防医学研究者の石川善樹氏が解き明かす。
NewsPicksより引用

5月11日、銀座ブロッサムで行われたトークイベント
「みんな居場所がない ー 現代の孤独とコミュニティ ー 」に行ってきました。

佐渡島さんの著書『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜』をテーマにしたトークイベントです。

学びがあり、私が現在やっているシェアハウス運営でも参考になりそうだと思いましたのでレポートとして記録を残します!

イベントはざっくばらんとした雰囲気の中で始まり、席の近くの人と自己紹介ワーク等もやる普通のトークイベントとはおもむきの違う会でした。

ここでは、私がイベントで気になった部分を抜粋して記事にしていきます。

孤立と孤独の違い

孤立と孤独の違いは、客観的であるか主観的であるかの違いです。

孤立は集団から離れている『状況』であり、孤独はリアルの状況に関わらず各個人が感じる主観的な『感情』だと語られました。

予防医学研究者の石川さんは、孤独を感じている人達の行動傾向の研究について次のように述べました。

孤独を感じている人は脳の思考能力が低くなり、他人に攻撃的になる傾向がある

衝撃的ですよね。
イベント内では、クリスマスでリア充爆発しろというtweetが増える要因と例えて笑いを誘いました(笑)

その場では笑い話に終わりましたが、この研究は当たらずとも遠からずだと感じますね。

孤独の正体とは

続いて、主観的ものである孤独の正体について佐渡島さんが語りました。

人間は誰しも言語化できないもやもやした不安な感情を持っていて、その不安は言語化できないが故に誰とも共有することができない。誰にも共有できないという認識が『孤独』の正体ではないだろうかとのこと。

私はこの話を聞いて芥川龍之介のよく言及する「ぼんやりとした不安」を思い出します。

芥川は将来への言語化できない「ぼんやりとした不安」を感じて自殺までしてしまいます。この「ぼんやりとした不安」という感情は人間誰しもが持っているもので、人によってはその感情の負担が耐えきれないほど大きくなるのでしょう。

長く続くコミュニティに必要なもの

長く続く良いコミュニティには何が必要になるかというお話がでました。下記にポイントをまとめます。

1:スゴ過ぎない人物がいる

2:ちょっと先の目標がたくさんある

3:ゴールテープを作らない

4:中心に何があるかわからない(大事なことを隠す)

上の二つのポイントは少し重なり合っています。あまりに立派すぎる人物だと目指すべき目標ではなく、憧れや崇拝の対象になってしまうのでコミュニティー参加者自身の成長に繋がらなくなってしまいます。

自分よりも1.1倍スゴい人を目標にした方が行動の変化を起こしやすいというのは理にかなっていますね。

ゴールテープを作らないというのは、コミュニティの明確な達成目標を作成しないということです。これは、目標を達成してしまったコミュニティは解散するしかないというシンプルな理由です。

『中心に何があるかわからない』この要素は長続きするコミュニティに必要不可欠なものだそうです。1000年以上続いているコミュニティの例として出されたのは「伊勢神宮」と「数学という学問」です。

この二つのコミュニティに共通していることこそ『中心に何があるかわからない』だからです。

伊勢神宮は誰が建てたか、どういった理由で伊勢にあるのか、確実にわかる書物がないそうで、現在でも運営している方々は初期の実態を知らないままに運営している。(伝えられている話は神話の時代のお話でしかない。)

数学という学問のコミュニティも明確な中心がないからこそ現在まで続いていると言える。(原理を追求していくと宇宙の誕生や神・宗教の話になってしまうため)

逆にフェルマーの最終定理を解くという目標の元集まったコミュニティは、定理の解明が終わってしまうと後は解散するしかなくなってしまったそうです。

場所や原理にあえて「余白」を作ることが息の長いコミュニティを作るのに最適なことなのかもしれません。

あえて説明をしない(できない)ということは、コミュニティ参加者がそれぞれの解釈を話し合い活動していくため結果として長く存続するコミュニティになるということですね。

本や漫画、映画の世界でもあえて説明をしない余白を残すことで読者・視聴者の議論を呼び起こし、語り継がれる不朽の名作となっている作品も多数存在します。本質的にはそれらの類と同じもののように感じます。

宗教というコミュニティから学べること

 石川さんがコミュニティの在り方について仏教の視点から言及しました。

現在でも伝わるブッタの教えは、実はブッタ本人が死んで数百年たった後に弟子達によってまとめられたもので、ブッタの教えといっても弟子達同士で解釈が違ったりすることがあるようです。

ただし、ブッタが弟子達に唯一本当に語っていただろうとされるものがあります。

「他人に迷惑をかけるな」

シンプルですね笑
『悟り』などの語り得ないことを弟子達にのこすよりは、人間の在り方を指し示すだけにとどめたのでしょうか。

これもよく考えれば、モーセの十戒も人間としての在り方を説いていたり、他の宗教でもシンプルな「人間の在り方」の提示を行なっているものがほとんどですよね。

コミュニティにとって大事になのは参加している人達に『人生の在り方』を提示するということという証かもしれません。

石川さんはこういった宗教コミュニティの知見を『仏教思想のゼロポイント』『完全教祖マニュアル』から得たとイベントでは語っていました。これらの本も後ほど購入しようと思います!

コミュニティは参加者に『在り方』を提供するもの

おわりに

昭和前半のコミュニティとして大きな影響を個人にもたらしていたのは「家族」でした。

しかし、高度経済成長を迎えるにつれ、核家族化により「家族」の影響は弱まり、代わりとして「会社」が大きなコミュニティとして台頭しました。

昭和の世代でも緩やかなコミュニティの変遷がありました。
そして現代では、ネットワークの発達や、終身雇用神話の崩壊による職場コミュニティの複雑化と短期化によってコミュニティの選択肢は大きく広がりました。

自分の家族や学校・職場以外のサードプレイスを居場所として選択しやすくなっていると感じます。

ただ、選択肢の多さは時として人を悩ませるものだと思いますし、勇気を持って飛び込んだ場所でも思っていた活動や繋がりを得れないことも多いでしょう。

私もシェアハウスというコミュニティを運営するかたわら、コミュニティに関わる人達に何を提供するべきで、どんなコミュニティ設計をするべきなのかを考えさせられたトークイベントでした。


									
																		
									
																		
									
ABOUT ME
ユウヤ
株式会社AIKIYA代表取締役 合気道2段。WEB制作、護身術指導、あとカメハメ波が撃てます。嘘です。 プロフィールはこちら